ドラマチック双極性障害

ドラマチックな性格、心に傷を負ったサラリーマンの闘病記です。

私は双極性障害らしい。

私は双極性障害らしい。

 

昔から、自分は気分の浮き沈みが激しい方だとは思っていた。しかし、いざ医者に「あなたは双極性障害ですね」と言われると、言葉に詰まった。「でしょうね!!」と叫び出したい気持ちにもなったし、「そんなこと言われても」とくたびれた気持ちにもなった。

 

調子がいい時は、頭の回転も早くなるし、行動力に溢れているし、根拠のない自信に満ちている。これまで、その時の自分のことを「いつもの自分」だと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。調子がいいのは「軽躁状態」で、この時に活動的になりすぎると、「鬱状態」がひどくなる。

 

鬱状態」になると、病的にやる気がなくなる。身体が重くて、寝ても寝ても疲れが取れなくて、何かに取り憑かれたような気分になる。ひどい時は家から出ることも出来ない。ろくに動くこともできない。それが何日も続くと、どうしようもない気持ちになる。

 

それが少しマシになってきて、ああやっと動ける、意欲も湧いてきた、と感じたら「軽躁状態」になっている。鬱状態の時に出来なかったことをやりたくなる。基本的には些細なことだ。友達と遊んだり、勉強をしたり。だけど、たまに死にたくなる時もある。鬱状態の時は本当に動けないので、躁状態の時に「今のうちに死んでおこう」と考えてしまうのだ(実際に死のうとしたことはないので安心してほしい)。あまり笑えないけど、私に限らず、結構よくあることらしい。

そんな私が、半ば無理矢理だが、三月に復職することになった。

昨年の二月末に休職し始めて、今日に至るまでの約一年間、ずっと軽躁状態鬱状態を繰り返している。「復職」が話に上っては消え、上っては消え、一年が経った。

休職中の一年間で、「譲れないもの」を随分譲ってきたように思う。既存の友人との時間、新しく出会う友人との時間、恋愛、仕事、ボランティア、酒、旅行、勉強、……メンタルをやられる前までは全部「譲れないもの」だったはずのものを、「規則正しい生活」を送るためにほとんど譲ってしまった。そして、今、思う。

 

私は、何にこだわって生きてきたんだろう?

私にとって、本当に「譲れないもの」って、何なんだろう?

 

健康を取り戻すために大事なものをいくつも献上する中で、「私らしさ」のようなものをたくさん失ってしまった。

 

これから、自分自身の「健康」の上に、「私らしさ」を新たに築いていきたい。